渋沢栄一って何をした人?

皆様、こんにちは。

「伝承の家」の福島屋です。

 

紙幣のデザインが変わる!という衝撃的なニュースがありましたね。

そんな中、深谷市出身の『渋沢栄一』が一万円札になるのでは!

ということで、どんなことをした人なのか簡単に調べてみました。

 

渋沢栄一は、深谷市血洗島の裕福な農家の長男として生まれました。

学問・剣術を学びながら、従兄である尾高惇忠(富岡製糸場初代場長)の妹と19歳で結婚。

江戸に出てからは剣術修行に励む傍ら、勤王志士らと交流を深め、尊王攘夷に目覚めました。

そして 高崎城を乗っ取る計画を立てますが、尾高惇忠の説得により中止します。

 

親族に影響が及ばないように父親から勘当されたという体裁で京都に出ますが、

京都はまさに「文久三年八月十八日の政変」で、尊王攘夷派が追放された直後でした。

 

そこで、交流のあった一橋家の家臣の勧めで一橋慶喜に仕えることにします。

一橋慶喜はご存知、のちの徳川慶喜です。

慶喜が将軍になってからは、パリの万国博覧会に出席、ヨーロッパ各国を訪問し

先進的な産業や軍備にとても感銘を受けたそう。

 

大政奉還後は、フランスで学んだ株式会社制度を実践するなどの活動をしていましたが、

大隈重信の説得のもと、大蔵省に入省します。

官僚として仕事をこなす中、予算編成について大久保利通や大隈重信と対立、退官を決意します。

 

その後は、実業家として様々な企業の設立に携わりました。

関わった企業は500以上と言われており、有名どころとしては

・第一国立銀行(現 みずほ銀行)

・東京瓦斯(東京ガス)

・東京海上日動火災保険

・王子製紙

・田園都市(現 東京急行電鉄)

・帝国ホテル

・秩父鉄道

・東京証券取引所 などが挙げられます。

 

渋沢栄一は「大金持ちになるよりも、社会万民の利益をはかるために生きるほうが有意義である。」

という言葉を残しており、

日本赤十字社の設立や日本女子大の設立、関東大震災の寄付金集めなど、

様々な面で世のため人のために貢献しました。

 

91歳でこの世を去ってからは、

紙幣の肖像画候補に数回挙げられるなど、偉人として広く認知されています。

 

さて今回はここまでです。

この機会に記念館、行ってみようかなぁ…なんて思いました!

それではまた。