トイレのルーツ
2019年1月24日
カテゴリー: 伝承コラム
こんにちは、[伝承の家]の福島屋です。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今回もまた、ルーツを探りたいと思います。
出先でどこにあるのか把握していないと不安…なんてこともあるのではないでしょうか?
本日は“トイレのルーツ”についてお話ししたいと思います。
それではまずトイレの歴史から順番にお話しします。
縄文時代から奈良時代にかけて、多くの人は川に直接排泄をしていたようです。
人口が少なかったからこそ成立していた方法ですね。
そして“厠”が初めて記録として出てきたのは、奈良時代に書かれた古事記です。
古事記には、厠が小屋のような空間になっていたと考えられる記述があるようです。
平安時代には“樋箱(ひばこ)”や“清筥(しのはこ)”と呼ばれる、
現代で言う おまる が登場しました。
ただ、これらを使用していたのは貴族であり、
一般庶民は外の道に抵抗なく排泄をしていました。
ただ、暗黙の了解で ある程度の排泄場所は決まっていたようです。
鎌倉時代になると汲み取り式が登場します。
屋敷内に水路を引き入れ、流されるような仕組みを作り、排泄をしたようです。
しかし そのまま排泄物が垂れ流されないよう、穴を作って分別できるような仕組みになっていたようです。
汲み取り式の登場は、排泄物を肥料として活用するためであり
その背景には幕府が二毛作を奨励したことで、土地を痩せさせないための工夫が必要であったためとされています。
江戸時代にはすっかり汲み取り式が定着し、排泄物は肥料として売買もされました。
特に富裕層の排泄物は栄養価の高いものを食べている、という理由から高値で取引されたようです。
もちろん一般庶民の排泄物も買い取られていたので、江戸の町は清潔に保たれていました。
幕末に来日した数々の外国人も江戸庶民の清潔な暮らしぶりに大変驚き、そして評価しています。
先人たちの知恵が海外の人々に評価されていたとは、日本人としてとても誇らしいことですね。
そして日本の開国とともに水洗トイレが流入してきましたが、
当時はまだ、一般庶民の生活にまで流れ着くことはなかったようです。
しかしその後、近代化・産業化が進むと人口が増え、汲み取り式は人々の生活にそぐわないものとなっていきました。
その結果、やっと一般庶民の生活にも水洗トイレが取り入れられました。
そして現代の日本のトイレは
とても清潔で、使いやすく、おしゃれで、居心地のよいものに進化しています。
私自身は現状で不便に感じることは特にないのですが、
もし改良されていくとしたら今後どのようになっていくのか…楽しみです。
では、ここまでで『トイレのルーツ』のお話しは終了です。
さらっと流していただければと思います。
それでは。